呑んべい日記

初七日

2010年8月12日 23時07分

初七日法要。兄弟皆揃い16名にて営む。

告別式

2010年8月10日 23時30分

告別式。13:45瑞江にて荼毘に付す。本当に大勢の方にご会葬いただいた。感謝。合掌。

通夜式

2010年8月9日 23時00分

父の通夜式。暑い中450名を超える方にご焼香いただいた。ただただ感謝。合掌。兄弟3人とわが息子とで会館に泊まり夜を明かす。

13:24

2010年8月6日 23時48分

13;24 父逝く。享年88歳。
7月31日に容態急変後、父も、家族も頑張ったが、静かに息を引き取った。6人目の曾孫「一紗」と入れ替わるように・・・

退院

2010年8月5日 23時52分

孫「一紗」無事退院。家族が一人増えた。待望の、野島家の跡取りだ。反対に父の容体が心配。血圧が下がり始めた。

安定

2010年8月4日 22時54分

父の容体は悪いながらも安定している。我が家が忙しい中、兄が1日病院に詰めてくれた。暑い!!本当に暑い!!

落ち着く

2010年8月3日 22時44分

父の容態もいくらか落ち着いたようだ。仕事も忙しいし、母の疲れも見える。今晩から家族は家に帰る。

段取り

2010年8月2日 23時42分

父の状態は変わらず。仕事の段取りをつけ、病院に泊まる。

予断

2010年8月1日 19時41分

一日病院に。容態に変化はない。相変わらず予断は許さない。

スーパーあずさ

2010年7月31日 19時35分

昨日の心地よい疲れが残る中キャンプに出発。渋滞に巻き込まれ1時間遅れで到着。入村」式、クラフト、夕飯作りと順調に運ぶ。ハンモックをつったら、子供たちがすぐに集まってきた。
そんな中葛西の病院から電話。父の容態が急変、病院に来るよう言われる。キャンプの後を託し、甲府の駅からスーパーあずさで東京へ病院に10時過ぎにつく。心臓はマッサージで動き出したが自発呼吸ができない。予断を許さない状態がついづく。

盛り上がる。

2010年7月30日 23時59分

盆踊り2日目。大人に慈美、雄一が加わる。深川太鼓の叩き手がそろった。いい音がやぐらの上から聞こえる。叩いている途中、孫の誕生を知らされる。万歳!!踊りも盛り上がる。拍手!! 終わって明日は私がキャンプでいないので、飛夫、順と呑む。病院から長男も戻り誕生祝い。こちらも盛り上がる!!

残念

2010年7月29日 19時29分

朝から雨。午後になってもやまない。早々と盆踊り中止の連絡が入る。残念。

始まる!!

2010年7月28日 00時59分

森下4丁目の盆踊りが始まる。子供は6名で皆楽しそうに叩く。大人は、純、飛夫、あいさ、陽子と私の5名。大いに盛り上がる。

一番元気

2010年7月18日 00時00分

朝4:15起床。江東区民ラジオ体操大会へ木場公園まで、八名川の皆さんと一緒に出かける。6:00、山崎孝明区長ほか、来賓を大勢迎え、開会式が始まる。その司会進行を担当。来賓で一番元気がよかったのは、柿沢未途衆議院議員(みんなの党)か?。6:45ご来賓ほか大勢の皆様に参加いただき、盛会のうち終了。父の病気もあり反省会には残念ながら出席できなかったが、役員のみなさまは、汗をかいた後の朝一番のビールは格別だろう。午前中病院から連絡がなく、午後病院へ。思いのほか元気なので一安心。夜は森下2丁目の盆踊りへ。ダンシングヒーローで盛り上がり、いい汗をかいた。帰ってシャワーを浴び最高の一杯を呑む。

疲れた

2010年7月17日 23時59分

あさ5:00、仕事を始める。忙しいのも今日までか。ラジオ体操も、明日の打ち合わせがあるためひさしぶりに顔を出す。仕事の段取りを終え、たまった書類の整理、制作。夜太鼓の練習。森下2丁目で盆踊りをやっているのを横目に、子供たちと汗を流す。途中携帯の音に気付く。出ると父の様子が変なようだ。戻るに戻れないので、弟に頼む。練習を終え戻ると、救急車で葛西の病院へ行き、そのまま入院だ。硬膜下出血の再発のようだ。急を要しないので、あす手術をするか連絡があるとの事。疲れた1日だ。